産院選びとラグジュアリー感とユーザビリティ

ユーザビリティなんてものは,所詮,貧しいエンジニアの貧しい発想に過ぎないのかもしれない,と思った話。

赤ちゃんがお腹にいます!ということで,出てくる時に備えて産院を選ばないといけない。最近よく話題になっているように,出産ができる産婦人科は数が減っている。いざと言う時に困らないように近所で信頼できる病院を選んだ方がいいだろうし,保健医療じゃなくて基本的に自費診療(給付金は出るけど)になるから,信頼性を確保しつつコストを考慮するというトレードオフ問題が発生する。

うちの近所には,二軒くらいお産の出来る大きな病院がある。A病院は超セレブ病院で,B病院は庶民の病院。でもどちらにもNICU(新生児集中治療室)が設置されていて,地域医療の重要拠点であり,高度な技術と設備があることは間違いなし。さて,A病院に電話してみると「通常分娩で96万円からです」と言われた。ちなみにB病院では通常分娩で46万円から。この50万円の差はどこから来るのかというと,食事が美味しいとか,分娩の時に特別なストレッチャーを使うとか,お部屋はすべて個室,有名な先生が沢山いる,とかそういう部分。ところが実際のお産というのは,妊婦さんがアブラ汗流しながら頑張るもので,その経験自体は50万円プラスしようがしまいが変わらない。ましてや分娩の時には既に胎児の発育は終了しているわけで,そこで50万円かけたからって赤ちゃんが良い健康状態になるわけでもない。だったら50万円を他のことに,例えば質の良い食事をするとか,鍼灸治療に通ってみるとか,出生後の任意接種のワクチン代にするとか,そういうことに使った方が,直接に赤ちゃんに良い効果があるんじゃないの?

というわけで,電通大生として真面目なエンジニア教育を受けたワタクシとしては,費用対効果を検討した結果,B病院で出産の予約をした。

その後,近所のカフェで,品の良い奥様とたまたま出産について話しており,A病院は高いのでB病院にしたんですよ,という話をしたら,うちの息子の嫁はA病院で産むことにしたんですよ,と言う。面白いなあと思って,お嫁さんはどうしてA病院にしたのか,と聞いてみた。そうすると「私も息子をA病院で産んだんですけれど,うちの息子が産まれた病院で産みたいって言うんですよ」とのお答え。これはなかなか新鮮な発想だ!!

さらに奥様が続けて「でもねA病院っていい病院ですよ。素敵なチャペルもあるし。」

(... すてきな チャペル ???)

出産関係でチャペル必要なのって死産だったときくらいじゃないの?と混乱しながらも,あらそうなんですか,と相づちをうつ。ステンドグラスがきれいなんですよ,と奥様は言う。私は曖昧に微笑んでうなずきつつも,相変わらず,なぜ「お揃いの病院」とか「ステンドグラスのある素敵なチャペル」が,産院選びの理由として成立しうるのかよくわからない。(が,なにかが根本的に違っているのだけはわかった。)

そして更に数日後,他の友達に駅まで車で送ってもらう機会があった。彼はいつも小さい車に乗っているのだけど,その日はご家族と車を交換したとかで,たまたまベンツにのっていたので,私は駅までピカピカのベンツで送って頂いたというわけ。その車中で,上述の産院選びと奥様の話をしたところ,彼は「ああ,でもそのラグジュアリー感,わかるなあ!」と言う。

「今日,ぼくはベンツに乗ってるじゃないですか。この車って,何に使えばいいのかわかんないボタンが山ほどあるし,県境を超えれば『埼玉県に入りました』って言うし,車線変更しようとすると『左側の合流にお気をつけ下さい』って言うし,無駄な機能がとにかく沢山あるんですよ。で,車って本当は,車輪がついてて動けばいいものなんだけど,その無駄な部分がやたら沢山あって,どうやって使えばいいかもわからないんだけど,すごく贅沢な感じがして気分いいんですよ。」

彼がそう話すのを聞いた時に,ユーザビリティ研究みたいなものの前提が,ガラガラと音を立てて崩れて行くような気がした。ノーマンの名著「誰のためのデザイン?」では「なし崩しの機能追加主義」が痛烈に批判されている。ユーザーが機能を効率よく認識出来る範囲,心地よくシンプルに使いこなせる範囲で,費用と効果のバランスをとりつつ,無駄なく,ちょうど良い機能を実装する。そういったデザインの価値観は,このラグジュアリー志向とは真っ向から対立するのではないか。そういう意味では,ユーザビリティなんてものは,貧しいエンジニアの貧しい発想にすぎないかもしれない,と考えて,なにか深い溝みたいなものを感じた。

それでもやっぱり,もしもう一度チャンスがあっても,私はB病院での出産を選択するんだろうなあ。

日本に帰って来て3年半経ちました

なんと前回のブログから三年たっていました。時間経つの早すぎて恐ろしい!しかし充実の三年でもありました。仕事の方は,素晴らしい仲間との出会いもあって,色んな共同研究が立ち上がったり,あこがれだったJSTさきがけに採択されたり,日本に帰って来て良かったなと思えることが沢山ありました。生活の方も,東京・下町の暮らしが意外に面白く,ご近所さんとの出会いあり,旧友とも仲良くできたり,といいこと沢山ありますね。

日本の暮らしで素晴らしい!と思うのは,鍼灸や整体などの代替医療が充実していて質が高いこと。そして普段の生活のなかでそこそこ歩けること。ずいぶん体調が良くなりました。ごはんが美味しい,とか温泉最高!とかもポイント高いです。

何よりも(今,TPPで先行きが危ぶまれてはいるものの)医療保険制度が安定しているのは嬉しい。アメリカでは医療保険がいつも頭痛のタネで,加入するのも保険料を払うのも一仕事だし,病気すると非常に高額な請求が来て破産する人も多いのです。日本でびっくりしたのが,区役所に行くと5分くらいで国民健康保険に加入できて,その日から保険証使えるんですよ!!なんて素晴らしいんでしょう。(しかし逆に大学に常勤雇用されたときに加入した文科省の共済組合は保険証もらえるまでに1〜2ヶ月かかってしまい,おちおち風邪もひけなかったです。)

そうそう,筑波大学では,今年の4月から春日キャンパスに異動して,助教の先生のお仕事を始めています。来月から年度末まで産休と育休を取得する予定なので,学生さんと身近に接するのは来年度からですが,今からとっても楽しみです。

博士課程で正規留学する二つのメリット

このエントリで一番声を大にして言いたいのは、後半で述べる「どうやら日本の年寄りは若者が思ってるほど頭がかたいわけではなさそうだ」ということです。

最近、(特に理系の)留学生を増やすにはどうしたらいいんでしょうね、ということが頻繁に話題にのぼり、留学経験者としては色々と意見を聞かれることも多いです。この件に関してはスタンフォードでの友人の@takashimizuくんや@miyutenくんが非常に面白い議論をtwitterでしていて、それを@takashimizuくんがうまくまとめてくれました。本当はリアルタイムでこの議論に参加したかったのですが、通勤時間中でちょっと手が回らなかったので、こちらで私見を述べます。結論からいうと、留学のメリットが広く認知され、留学することが本当にお得だと感じられれば、留学する人が増えるだろう、と思います。

留学における研究面のメリットはもちろん沢山ありますが、生活面でのメリットが予想以上に大きく、かつあまり知られていないので、今回はその話をします。要するにお金と仕事のことです。私が非常に大きいと感じるメリットを二つ挙げます。

  1. 海外の大学院では、博士課程なら学費免除と生活費支給が普通である
  2. 日本で就職活動するとき、留学によって生じるキャリア遅延はノーカウントあるいはプラス評価

このエントリでは、キャリア遅延という言葉は「学位をとるのに普通より時間がかかってしまうこと」を指します。例えば、アメリカでは博士を取るのに通常5年以上かかるので、3年でとる日本やヨーロッパの博士に比べて学位取得時の年齢が高めです。また、日本の大学を3月に卒業してから海外の大学に秋学期に入学する間に数ヶ月のギャップが生じたり、あるいは受験準備で一年から数年余分にかかるなど、留学には時間がかかります。これを留学によるキャリア遅延と呼びます。このエントリの後半で、留学によるキャリア遅延は就活に影響しないことについてお話しします。でも最初にお金の話からしましょう。

お給料が出る

私が初めて留学したのは、大学4年生の時にパリのグランデコール(TELECOM Paris)に交換留学してリサーチアシスタントをしたときです。リサーチアシスタントですから、給与がでます。フランスで運良く見習い研究者のようなことをして、たとえ小額でも自分が考えて手を動かした研究のおかげで生活が出来ることがすごく嬉しかったのです。

それまでは実は博士課程に行こうとは思っていなかったのですが、そこの学校には博士課程の学生が沢山いて、全員お給料をもらって研究をしながら学位を目指していました。それで、海外では大学院に行くと普通は学費免除でお給料ももらえるらしい、ということがわかりました。自費で博士課程まで行くのは苦労が多すぎると思っていたのですが、経済的な心配をしなくていいならば、ぜひ博士号を取りたいと考えるようになりました。そこで、出稼ぎと似たような感覚で留学を目指すことになったのです。

院生ともなればオトナですから、経済的自立は留学の立派な理由になりえます。実際にスタンフォードでは、学費も生活費も大学が出してくれたので、安心して学業に専念することができました。博士号はバイトしながら取れるほど甘くないので、お給料が出るかどうかが、無事に学位を取れるかどうかの分かれ目になると思います。ちなみに、国際会議などへの参加費、旅費も大学と指導教授が出してくれたので、お金の心配をすることなく研究活動ができて非常に待遇が良く、有り難かったです。

まあここまではちょっと調べればわかる話ですが、まだまだ知らない人が多いので書いておく、って感じです。ただし、この次にあげる日本におけるキャリア遅延への理解度は私にとっても予想外でした。

留学によるキャリア遅延は就活に影響しない

さて、私は(自分で言うのもなんですが)アメリカの大学で意外に出来が良かったし、もう日本から出てきて7年にもなるからアメリカの大学で就職しようと思って就活していました。アメリカで就活していた理由のひとつに、留学でキャリア遅延が生じてしまい、年齢に厳しい日本社会よりは年齢制限のないアメリカ社会のほうが仕事が見つかりやすいのではないか、という思惑がありました。

しかしリーマンショック以後、経済恐慌のせいでアメリカのほぼ全ての大学で予算削減が行われ、アカデミックポジション自体が激減してしまいました。また、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)以降のアメリカの移民政策の変化や学術研究予算における外国人しめだしもあって、2009年の時点でアメリカで外国人が研究をスタートアップすることが不利だと感じることが多くなりました。

(ノーベル賞を取った下山先生はアメリカでは外国人でも研究予算が取れる、とおっしゃいましたが、少なくとも2009年の時点ではNSFやNIHの若手向け研究予算は米国籍・市民権保持者に限定されていて、外国人はレギュラー予算からしか応募できません。ですから、既に素晴らしいキャリアがあるならともかく、駆け出しの外国人若手研究者には敷居が高いと思います。ただし、こんな政策も数年でころころ変わる可能性があるのがアメリカの面白いところです。2010年以降にNSFやNIHの予算に応募する人は、応募要件が変わっている可能性があるので最新情報を自分で調べてください。)

そういうわけで、日本での就職活動も開始して、縁あって筑波大学に来ることになったのですが、この経緯がまた面白かった。自分は留学をくり返したために、日本で普通にキャリアを積むのに比べて随分と余分な年数がかかってしまい、年齢相応の実績がないとみなされることを心配していたのですが、それが意外に問題にならなかったのが印象的でした。

前述したように、私は交換留学も正規留学もしていたので、博士を取る頃にはもう随分キャリア遅延が発生していました。日本社会は年齢にうるさいというのが通念なので、これがマイナスに働いて仕事は見つからないだろうと最初は思っていました。ところが就活を始めて色んな人に会って、こういう理由で実績が少ないのですと説明すると、いや留学とかしていたらそういうことはありますよ、とこちらが驚くほど理解を示してくださるのです。実は、フランスへ交換留学をしたあとで日本企業でインターンシップをした際も、留学していたなら留年はまったく問題にならないし、就活ではむしろプラス評価ですよ、と言われました。これと同じように、博士課程後の日本における就職活動でもキャリア遅延をプラス評価していただけたように感じます。つまり、個人的ではありますが、少なくともここ十年(2000年〜2010年)ほど留学によるキャリア遅延は一貫してノーカウントあるいはプラス評価という経験をしています。

冒頭に挙げた「どうやら日本の年寄りは若者が思ってるほど頭がかたいわけではなさそうだ」という私見はこの経験によるものです。現在、ビジネスや研究の現場にいる管理職レベルの人たちは「若い人が世界を見ない・外に出て行かない・キャリア形成における積極性がない」という点で非常に強い危機感を抱いています。ですから、留学のような積極的なチョイスをする若手に対するニーズは非常に高く、少々のキャリア遅延があっても魅力的な人材として受けとめられるようです。採用される側(若手)はとにかく未来への不安が大きいので「日本社会は硬直していてちょっぴり留年するだけで就職が見つからなさそう」というイメージで留学に二の足を踏みます。しかし実は採用する側は「留学するような気概のある若手は大歓迎、年齢にはそれほど細かくこだわらない」というわけ。だから、留学によるキャリア遅延は、採用段階ではあまり問題にならない、と思われます。

まとめ

そういうわけで、海外の博士課程に行くとお給料がもらえていいですよ、そして留学に時間がかかるのが心配だけど、これはどうやら実際に日本で就活するうえではプラス評価らしいし、海外で就活する場合はもちろん全く問題になりませんよ、だからあまり心配しなくていいよ、というのが私の考えです。(あくまでも個人的な経験に基づく私見ですが。)そして、このようなメリットの周知を図ることで、日本から海外への留学生が増えるかもしれないと思います。

さて最初の仕事が見つかって、そのあと順調にキャリアを進めていけるか、日本で仕事していく上で留学経験がどれくらいプラスに働くかというと、こればっかりはまだ現在進行中なのでなんとも言えません。でも人生は一度きりの実験だから前向きにチャレンジしたいですし、周りの先生方も頑張ってねと励ましてくださるので、日本の大学でこれからしばらく頑張ってみよう、と思います。数年後、やっぱり留学して良かったよ!と報告したいですね。(そうすれば留学しようっていう面白い人が増えるかもしれないし。)

スタンフォード大学での博士号取得

こんにちは。三ヶ月ほど間が空いてしまいました。

この間、わたしは2009年12月4日にスタンフォード大学で博士論文を提出し、博士号(Ph.D.)を取得しました。その後、日本へ帰国し、2010年1月12日から筑波大学の先端学際領域研究センター・マルチメディア研究プロジェクトでポスドク研究員のお仕事を始めました。博士論文のタイトルは、"A Hybrid Model for Timbre Perception: Quantitative Representations of Sound Color and Density" です。2005年から取り組んでいた音色の知覚モデルの研究をまとめたものです。

ところで、スタンフォードでは、私が博士論文を提出した2009年の秋学期から論文をオンラインで提出できるようになったので、提出にはその制度を利用しました。つまり、私はオンライン提出一期生というわけです。嬉しいですね! オンラインで提出された博士論文は、スタンフォードのデジタル図書館に永久的にアーカイブ保存され、google scholarを通じて世界中に無料配布されるそうです。また、インターネットで配布されるため、Creative Commonsを利用したライセンシングが推奨されています。

スタンフォードニュースで博士論文のオンライン提出に関する記事があるのでご覧ください。私の論文もタイトルだけですが紹介されています!
Five dozen doctoral students chose bits and bytes over ink and paper



さて、この論文提出がどんな流れかというと

  1. 博士課程の博士論文以外のrequirementsを全て満たしていることをスタンフォードの学務管理ウェブサイトAxessで確認。
  2. Axess で Apply for graduationをクリック。このとき、hoverで"Lifetime Commitment"と出るのが可笑しい。(そっか、卒業するのってLifetime Commitment なのね〜。)
  3. タイトルとか名前とか入力して保存。
  4. Thesis Reading Committeeからサインをもらって、これを学務課に提出。これだけは紙でやらないといけない。そうすると学務課がAxessのオンライン提出をアンロックしてくれる。
  5. アンロックされたThesis Submitのリンクをクリックしてスタンフォードライブラリーのウェブサイトに移動。
  6. 論文の概要をアップロードして、Creative Commonsのオプションを選択。これはCreative Commonsライセンスを付ける・付けない、そして付ける場合はどのタイプのライセンスにするかをクリックして選択。そして論文のpdfをアップロード。
  7. 最後に全ての情報を再確認して、提出ボタンをクリック。

でおしまいです。(記憶をたどって書いているので、細かい違いはあるかもしれません。)

オンライン提出には時間と経費の節約、図書館のスペース節約、論文をプリントアウトしなくていい、世界中にgoogle scholarを通じて配布でき広い読者層にアピールできる、などのメリットがあります。その他、博士論文データベースが拡充するにしたがって、今まで予想のつかなかったようなメリットが生まれるかもしれません。

ちなみに、前出の記事によれば、2009年秋学期に博士論文を提出した114人のうち60人がオンライン提出、そのうち52人がCreative CommonsのNon-commercial Attributionでライセンシングしたそうです(ちなみに私のCCライセンスもこれ)。公開時期を遅らせることもオプションで選べるのですが、47人は直ちに公開を選択、つまり13人は特許申請など何らかの事情で日数をおいてからの公開を選んだようです。

スタンフォードでも初めての試みで、小さなトラブルや説明不足もあったけれど、過ぎてみれば良い思い出だし、なによりも自分の博士論文が世界中の人に読んでもらえる可能性にワクワクしています。これからは世界でトップレベルの博士論文が大学図書館で埃をかぶることなく、誰でもオンラインで無料で読める時代がくるのですね。楽しみです。

Encyclopedia of Perception

私が音色の見出し記事を書いたEncyclopedia of Perceptionがついに発売されました。個人が買う本というよりは、図書館で見る本、というイメージですね。辞書に寄稿するのは初めてでしたが、声をかけていただいて、非常に名誉に感じました。嬉しいです。

図書館で見つけたら、Timbre Perception のページを開いてみてください!

Song of the Witches

先日、学生食堂でお昼ご飯を友達と食べていたら、黄色やオレンジ色の紙切れを沢山持った学生がやってきて、詩をどうぞ、と小さな山吹色の紙を差し出してくれた。

わたしがもらった紙に載っていたのはシェークスピアの詩。どこかで聞いたことあるなと思って検索してみたら、マクベスの一節だった。マクベスはドラマチックで悲劇的な物語だったはずなのに、この詩だけ取り出すと、なんだかチャーミングな印象だから不思議だ。

Song of the Witches

By William Shakespeare

Double, double toil and trouble;
Fire burn and caldron bubble.
Fillet of a fenny snake,
In the caldron boil and bake;
Eye of newt and toe of frog,
Wool of bat and tongue of dog,
Adder's fork and blind-worm's sting,
Lizard's leg and howlet's wing,
For a charm of powerful trouble,
Like a hell-broth boil and bubble.

Double, double toil and trouble;
Fire burn and caldron bubble.
Cool it with a baboon's blood,
Then the charm is firm and good.

友達には違う詩が載っているオレンジ色の紙。彼女がもらったのは、秋の風情のある、メランコリックな詩だった。英文科の学生か、あるいは文学サークルの学生なのか、ハロウィーンの雰囲気を感じられる詩を配って歩くアクティビティでもしていたのだろうか。

明日はハロウィーン

10月31日は、ハロウィーンです。毎年、遊んじゃおうか、遊ばないでおこうか、ちょっと迷うハロウィーンです。やはり日本人にはあまり馴染みが無いイベントですものね。

スタンフォードの大学院に入学してすぐのハロウィーンは、サンフランシスコでパーティ。クラスメイトが連れて行ってくれました。とにかくにぎやか。人に押しつぶされそうになりながら、わくわく。そのあと、クラスメイトのお友達の家に泊めてもらいました。サンフランシスコには優しい人たちがいっぱいいます。大好きな街です。

それからの年は、大学ではちょうど中間試験の時期に重なっていることもあって、そんなの興味ないもん、とばかりにお勉強ばかりしてた年もあれば、ちゃんと仮装してお出かけして夜中まで踊り狂ってた年もあります。いつも、ちょっとずつ違うハロウィーンを楽しんでいるように思います。

去年のハロウィーンは、初めてPumpkin Carvingに挑戦しました。私のは海賊船。

ハウスメイトがウミガメ、地球儀、アトムを彫りました。

前日からどんなデザインにするか、皆で盛り上がっていました。オトナが本気出してかぼちゃ彫ると、なかなか面白いですね。わたしはコドモの頃、まったく忍耐力がなかったので、こんな凝ったかぼちゃは絶対無理で、しくしく泣き出していたに違いない。大人になってからの挑戦で良かったです。

今年も、ハウスメイトがパーティを開くそうです。日中はかぼちゃを彫って、夕方からボードゲームの予定。参加しようかどうしようか悩み中だけど、時間がない予感。

ではまた、オヤスミナサイ。